AI生成のテキスト(を生み出す人間)にうんざりする
昨今、石を投げればAIが生成したテキストに当たる。ドキュメントをAIに生成させました。変更内容の説明をAIにさせました。もううんざりである。
私は文章を読むのも書くのも好きだ1。ブログを毎日のように書いていたこともあったし(来訪者はいなかった)、Twitterに毎日のようにどうでもいいことを書いていたこともあったし(フォロワーは増えなかった)、同人誌を書いていたこともあった(完売することはなかった)。いまでも疲れるとここにどうでもいいことを書いている(アクセスされている様子はない)。
私はソフトウェア開発を生業としていて、その現場で書かれる文章というのは、当然ながらその多くが技術的な内容である。そして通常、技術的な文書から曖昧性や装飾のようなものは排除されているべきだ。しかし矛盾するようであるが、人間が書いた文章である以上、人間くささが残っているのもまた事実なのである。伝えるべき内容のうち技術的でない部分を、いかに人間くさい部分に込めて伝えるかというのが、ある意味では文章によるコミュニケーションなのだと私は思う。
ところで私は料理が好きで、自分で作った料理をうまいうまいといって喜んで食べるタイプの人間である。しかしレトルト食品やファミレスの食事などはそこまで好きではない。そこには尖った部分がないからだ。この料理の尖った部分と、文章における人間臭さというのは(少なくとも私のなかでは)似ていて、そここそに価値があると思う。音楽なりイラストなり、自分の領域に当てはめれば同じように感じる人も多いのではないだろうか。要するに、AI生成の文章はつまらんのだ。
しかし残念ながら今はAIにより生成された文章が氾濫している。ぐぐればGoogleがカスみたいな生成AIで書かせた文章をまず読まされ、その下にはAI生成記事がヒットしている。エックスを開けばインプ稼ぎの走狗となったAIによるお追従コメントが鈴なりになっている。どこでとは言わんが日々読まされるドキュメントにもかなりの割合でAIが生成したものが含まれている。しかしどいつもこいつもレトルトカレー2みたいなつまらん文章なのである。本当にうんざりする。カレーを作るならスパイスをきかせろ。パスタを作るならオリーブオイルの香りを立たせろ。真面目に人間をやれ。
しかしこのご時世、このようなことを社会で言おうものなら反AI分子として排除されるのがオチである。世知辛い世の中だ。
なにも私は、おもしろい文章は人間にしか書けないなどとナイーブなことを言うつもりはない。ちゃんと特定の人間くさい文章を学習させれば人間くさい出力が出てくるのであろう。そんなことはわかっている。つまり使っている人間が、その程度でよいと思っているということなのだ。結局、私はAIにうんざりしているのではなくて、AIに適当に作らせた文章をよしとしている人間にうんざりしているのである。
余談だが、この記事をChatGPTに読ませて感想を求めたところ、
かなり良いと思います。少なくとも、「AI生成文が嫌い」ではなく「AI生成文をそのままよしとする態度が嫌い」という着地があるので、単なる愚痴で終わっていないのが強いです。
から始まるつまらん長文を頂戴した。うるせえよ。